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宮廷画家ゴヤの視点から描く、自らの絵のモデルとなった2人の運命、そして異端審問の凄惨さ。
監督はこのブログにも何度か出てきた、ミロス・フォアマン。
ま、この監督だから観にいったわけですが。
話題性はいまひとつだったのか、公開してすぐ行ったのにガラガラ。
ゴヤは見たっていうと某家政婦モノのようにゴヤが主人公のように思えますが、どうなんでしょう。
どちらかといえばロレンソ神父が主人公か。
さて、そのロレンソ神父に扮するは『ノーカントリー』で話題になったハビエル・バルデム。
ノーカントリーも観ましたけど圧巻でしたね。
コーエンらしい映画でなんともいえない雰囲気だったんですが、このハビエル・バルデムの独特な存在感がその不思議さ、不気味さに拍車をかけていました。
さらにヒロインはナタリー・ポートマン!
レオンのマチルダ以降は個人的にはぱっとするものはなかったんですが、この作品はすばらしかった。
なんせ実質三役演じてる状態で、しかもそれをうまく演じきってましたから。
なによりこれまでの作品で一番キレイでした。
てなわけで、好きな監督・女優、気になる主役ということで結構期待していきました。
個人的には結構面白かったんですけど、一般受けはどうなんでしょう?
ではネタバレ込みは以下にて。
いやー、なんというかミロス・フォアマンらしいというのかな。
悲劇の描き方がなんとも。
ロレンソの自業自得も含め、異端尋問の悲惨さを皮肉をこめて描いてます。
強要される自白がなんと意味がないか、冤罪がどれだけ悲惨なものか、教会が自らの権威を守るためにどれだけのことをしてきか。
この時代はキリスト教が絶対正義的なところがあるわけですが、正義面で権威を振りかざす人間ほど怖いものはないですね。
もちろんキリスト教を純粋に信じてる人は素晴らしいですが。
ちょっと疑問なのはナタリー扮するイアンが自白を強要されたとき豚肉を食べるということは出来なかったんですかね。
豚肉を嫌うのはユダヤ教徒だ、ということから審問にかけられてるなら、食べて証明してしまえばよかったのに。
しかし、アレだけの商家の娘さんをサクッと審問にかけられる教会の力はすごいな。
結局イアンは審問にかけられ、自白を強要されるわ、ロレンソに強姦されるわで散々なあげく、ようやく牢から出された時にはおかしくなってしまってる・・・うーん、哀れすぎる。
このあとの十数年後のイアンとその娘役をナタリーは続けて演じるわけですが、どれもしっかり演じ分けているのはすごいですね。
おかしくなっている様子はいがんだ顔や表情、話し方など、そして娘アリシアは純粋な少女だったイアンとはうって変わった娼婦役。
目つきが違うのかな?イアンのときとは違い、アリシアのときは男をだます妖艶な目つきになってました。
ロレンソは最初は威厳があったのに自白を強要されて以降はすっかり情けない印象。
ただ最後のシーンでは教会に戻ることを拒否しますが、受け入れないのは最後の意地だったのか、受け入れた後でも全うに生きることはかなわないという絶望からだったのか・・・
最後に死体となって運ばれるロレンソの手を握るイアンの絵はシュール。これぞミロス・フォアマン。
振り返ってみるとやっぱりゴヤは語り手なんですね。
物語の中枢にいるようでいない。
ただ合間に挿入される絵をみると、やはりゴヤの見る目はすごかったんだなと。
『マドリード 1808年5月3日』なんかは見る目が変わりますね。
最後にゴヤの絵をもう一枚。なにを思いこの絵を描いたのか。
『わが子を食らうサトゥルヌス』
悲劇の描き方がなんとも。
ロレンソの自業自得も含め、異端尋問の悲惨さを皮肉をこめて描いてます。
強要される自白がなんと意味がないか、冤罪がどれだけ悲惨なものか、教会が自らの権威を守るためにどれだけのことをしてきか。
この時代はキリスト教が絶対正義的なところがあるわけですが、正義面で権威を振りかざす人間ほど怖いものはないですね。
もちろんキリスト教を純粋に信じてる人は素晴らしいですが。
ちょっと疑問なのはナタリー扮するイアンが自白を強要されたとき豚肉を食べるということは出来なかったんですかね。
豚肉を嫌うのはユダヤ教徒だ、ということから審問にかけられてるなら、食べて証明してしまえばよかったのに。
しかし、アレだけの商家の娘さんをサクッと審問にかけられる教会の力はすごいな。
結局イアンは審問にかけられ、自白を強要されるわ、ロレンソに強姦されるわで散々なあげく、ようやく牢から出された時にはおかしくなってしまってる・・・うーん、哀れすぎる。
このあとの十数年後のイアンとその娘役をナタリーは続けて演じるわけですが、どれもしっかり演じ分けているのはすごいですね。
おかしくなっている様子はいがんだ顔や表情、話し方など、そして娘アリシアは純粋な少女だったイアンとはうって変わった娼婦役。
目つきが違うのかな?イアンのときとは違い、アリシアのときは男をだます妖艶な目つきになってました。
ロレンソは最初は威厳があったのに自白を強要されて以降はすっかり情けない印象。
ただ最後のシーンでは教会に戻ることを拒否しますが、受け入れないのは最後の意地だったのか、受け入れた後でも全うに生きることはかなわないという絶望からだったのか・・・
最後に死体となって運ばれるロレンソの手を握るイアンの絵はシュール。これぞミロス・フォアマン。
振り返ってみるとやっぱりゴヤは語り手なんですね。
物語の中枢にいるようでいない。
ただ合間に挿入される絵をみると、やはりゴヤの見る目はすごかったんだなと。
『マドリード 1808年5月3日』なんかは見る目が変わりますね。
最後にゴヤの絵をもう一枚。なにを思いこの絵を描いたのか。
『わが子を食らうサトゥルヌス』
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